研究者発の海の話研究者発の海の話

セーリング選手の役に立つ気象海象予測システム

掲載日 2019.04.18
東京大学 新領域創成科学研究科 講師 和田 良太

東京オリンピックの開幕がいよいよ来年に迫ってきました。江ノ島周辺海域で開催予定のセーリング競技は、広いレース海域における風・潮流・波の影響を頭に入れながら航行する、まさに自然と一体となった競技です。鍛え抜かれた選手たち体力はもちろん、自然環境を見極めたコース取りなど戦略性の高いスポーツであることも魅力の一つです。

レース海域で強風が吹く時間と場所を予測できたら、潮流の向きと強さがわかったら、そんな予測情報は勝敗に直結する重要情報であり、各国のサポートチームが情報収集に奔走しています。私たちも過去に北京、ロンドンのオリンピックにおいて、レース海域での流況観測と予報モデル構築を行うなどセーリング競技のサポート活動をしてきました。セーリング選手が求める気象海象情報は数キロ程度のレース海域における数時間先の正確な予測であり、このニーズに応えることは容易ではありません。予報データ作成の中心となる気象海象の数値モデルは、従来の気象予報よりも高解像度化が求められ、また現場での観測データによる検証が必要となります。競技に求められる予測レベルに対して、私たちの成果は本当に役に立つ情報には辿りつけていなかったのではないかと感じています。

近年、陸上では計測機器の設置増加やクラウドソーシングなどにより幅広い情報収集が可能となり、ローカルな天気予報が充実しています。一方で海洋においては、こうしたきめ細かい情報は提供されていません。これは陸上と海洋における観測密度の差に由来すると考えられますが、一方で海での活動に必要な情報が粗くて良いかというとそういうわけではありません。穏やかな海は大変気持ちが良いものですが、ときに海はとても厳しい波、風、流れにより大きな脅威にもなりえます。セーリングに限らず、海での活動ではこうした自然の猛威に晒されていることを意識して、それとうまく付き合う活動が求められます。

そこで、このプロジェクトでは海で「役に立つ」情報の創出のあり方について考えています。

「そもそも海でどうやって活動してきたのか」

そもそも海洋において必要な情報が天気予報などからでは得られていなかったと考えられます。では、これまで海洋を利用する人はどのように安全な活動を実現していたのでしょうか。本研究では海洋で活動する方達からのヒアリング活動を通して、様々な「海の知恵」に触れることができました。

漁業者の方々へのヒアリングでは、主に視覚情報と触覚情報を元に漁業における様々な判断を実施していることがわかりました。例えば、ベテランの漁師の方々は「山だて」と呼ばれる方法で海域における位置を把握し、海(潮目、色)、空気の重たさ(湿度)、空(雲の動き)の様子、潮の重たさなどから気象や海象の変化を敏感に感じ取り、漁の効率と安全性を確保していました。また「テレビの天気予報なんて見ないよ」という話が印象的でした。

これらは個人の経験を通して構築された暗黙知であり、天気予報が捉えきれていないスケールの物事に関するものもたくさんあります。必要な判断をするために、長年の活動経験によりその海域特有の性質を掴み、導いた知識だと言えます。またこの予測システムが優れている点は、自らが目や肌で感じられる情報から予測をするという点です。これは数値シミュレーションから構築される予報データとは全く異なる価値を持っています。たとえばセーリング競技では、海面に浮いている漂流物の動きから潮流の情報を得て、海面の荒さから風の強い領域(ブロウ)を把握します。

その場で具体的に感じられるものからの推察は、人々の判断に直結する有用な情報と考えられます。

「役に立つとは意思決定プロセスに入り込むこと」

役に立つ情報とは、意思決定に貢献する情報だと考えられます。このため、情報提供をする上では、現在の意思決定プロセスに対して、追加的な価値を与えることが重要になります。それは即ち既存の意思決定プロセスを強化する形で情報提供することであり、既に存在する情報との関係性を明確にする必要があります。

つまり価値ある情報は、情報そのものの価値だけでなく、意思決定をする人のプロセスに入り込むための作業が必要であり、そのインタラクションなしで語れないものだと感じています。ここに私たちの提供する情報の欠点があるのではないかと考えました。

私たちはできるだけ良い情報を提供することが貢献であると考えていました。それは間違ってないかもしれませんが、それだけでは役に立たないのだと感じます。海洋で活動する方々が普段から感じられる形で触れている海域の「生の情報」と私たちが考える数値シミュレーションの関係性を整理することが必要となります。逆に考えると、私たちの提供する情報が完璧でなかったとしても、それを踏まえた意思決定に貢献することが可能になると思います。

提供する情報が意思決定のプロセスに馴染んでいることが役に立つ情報の必要条件だということがわかります。

「知の融合が必要」

図1 潮流観測に利用するADCP(超音波多層流向流速計)
拡大図

暗黙知と数値シミュレーションは、一見すると全く異なる出自の情報であり、相容れないように感じます。こうした海洋の異なる記述方法について情報の整理が大切になります。記述しようとしているのは同じ海域の自然現象であり、それぞれの得意分野が異なるというだけなので、これらをうまく融合させる方法が、海で「役に立つ」情報の創出の鍵だと考えています。

まず第一歩は正解を知ることで、知りたいと思っている現象について現場観測を蓄積することが何より大切です。レースが予定されている江ノ島周辺海域における観測事例は少なく、私たちは長井町漁協に多大なご協力を頂き、現場観測を実施しています。また選手たちが指標としている現象、例えば漂流物の動き、が潮流の何を捉えているのか、ということについても明らかにしようとしています。

図2 地元の漁師さんに船をお借りして観測に出航
拡大図

さて、この研究はどこへ向かうのでしょうか。私たちは、こうした活動を広く海洋利用に貢献する仕組みに発展させていきたいとも思っています。たとえば海洋で活動する方達がもっと簡単にデータを計測できて、それが共有される仕組みができないか?こうすることで予報モデルも高精度化するし、活動する人々とのインタラクションも設計することが可能になると考えています。

東京オリンピックの開催はもう目の前です。今日もこれから、相模湾の観測へ出かけてきます!

※東京大学海洋アライアンス・イニシャティブ「セーリング選手の役に立つ気象海象予測システム」(2017年度後期)の活動をもとに執筆しました。

Contents
研究者発の海の話
海の女性ネットワーク、Women for One Ocean:海洋の将来を考えるために
海と人との関わりを探究する授業作り
漁村の過疎化は海洋生態系の管理体制に影響を及ぼすか
離島漁業の振興に向けた海洋環境変動の評価 ー海水中に含まれる粒子状有機物起源の検討ー
セーリング選手の役に立つ気象海象予測システム
海のメダカで環境汚染を調べる
大槌ラバーズ(大槌を愛するひとたち)─ 大槌の児童・生徒と海洋研究を繋ぐ意識 ─
水中ロボットの測位の話
深海の温泉をめぐる貝の旅
急激な地球温暖化が海洋生態系へ及ぼす影響を化石DNAで復元する
海溝というもの
大学における学際海洋教育を推進するための基礎データ
島嶼(とうしょ)における海洋保護区のあり方と意義
海洋生物の多様性保全と利用を考える
海を守る、地球を守る
我が国の離島の保全・管理や振興
海面上昇に対する沖ノ鳥島の維持
「海」から展開する情報プラットフォームとネットワーク
海洋深層水の利用
うみあるきとは?-システム開発の目的と方針
現代の海賊問題と日本
沿岸域利用についての合意形成メカニズムの評価検討
次世代海洋研究者の育成
陸と海のつながりと海洋生態系
大学における学際的海洋教育研究
漁業をまもる先端技術
海底に眠る鉱山—熱水鉱床
海洋に関わる諸活動のコスト・ベネフィット評価
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